5月6日は鑑真忌です。西ノ京へ行こう! 唐招提寺から薬師寺へと続く道は歴史・ロマン街道だ
5月6日は鑑真忌です。
鑑真は奈良時代に渡来した唐の高僧で、日本に渡って日本律宗を開いた。
5度にわたる渡航も失敗したが6度目で失明するもようやく成功し、のちに唐招提寺を建立した。
普通は「仏の顔も三度」というから3度やって駄目だったら「やーめた」と言って中止するものなのに倍の6度までも挑戦するとはね。
「行かねばなるまい」という義理堅いことです。
私は鑑真の不屈の精神をたたえたい。
そしてよくぞ美しい唐招提寺を立ててくれたと思います。
今その姿を見れることはなんと有難いことでしょう。
更に薬師寺へと続く「歴史街道」は当時の面影を残していると思われ、感慨深いものがあります。
☆彡今日の一言 西ノ京へ行こう
唐招提寺開山忌は、月遅れで6月6日に行われます。
★鑑真 がんじん[688~763]
688-763 唐(とう)(中国)の僧。
嗣聖5年生まれ。日本律宗の開祖。「授戒の大師」と称され,揚州の大明寺で律を講じる。唐にわたった栄叡(えいえい),普照(ふしょう)の要請で5回の渡航失敗,失明をのりこえ,天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年(753)来日。
聖武上皇らに授戒し,7年東大寺に戒壇院を設立,翌年大僧正となる。天平宝字3年唐招提寺をひらいた。天平宝字7年5月6日死去。76歳。揚州江陽県(江蘇省)出身。俗姓は淳于(じゅんう)。
【格言など】是れ法のための事なり。何ぞ身命を惜しまんや。諸人去(ゆ)かざれば,我れ即ち去くのみ(日本への渡海を懇望されて)
★唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が天平宝字3年(759年)に建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。
唐招提寺は聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立されました。鑑真和上は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。やがて鑑真和上を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、倉庫、食堂、講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、鑑真和上の没後も金堂や東塔が建立されました。平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そのころ「唐律招堤」から「唐招提寺」となりました。
井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
☆彡お勧め本
●大和古寺風物誌 亀井勝一郎
●古寺巡礼 和辻哲郎
●土門拳の古寺巡礼