心の道行き日記

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5月11日は『鵜飼開き・長良川の鵜飼い開きの日』です。季節の香りと歴史のロマンを感じます。

毎年5月11日は岐阜県長良川の「鵜飼(うかい)開き」の日です。
長良川の「鵜飼」は、10月15日まで行われます。

 

☆彡今日の一言 季節の香りと歴史のロマンを感じます。

季節は毎年、巡ってきますが一つとして同じではありません。長良川の「鵜飼」の時期、去年の初夏5月初めは何をしていたんだろか?

 

◆鵜飼開始 19:45頃
 開始合図の花火があがり、いよいよ鵜飼が始まります。

 鵜飼終了・下船 20:30頃
 下船時間は、季節・観覧船の数などにより変動します。


【岐阜市】長良川鵜飼の紹介

 戦国のロマンを今も感じさせる金華山と山頂にそびえる岐阜城を背景に、名水100選に選定されている清流長良川でぎふ長良川鵜飼は行われています。漆黒の闇の中、赤々と燃える篝火を川面に映し、鵜匠と鵜が一体となって繰り広げる古典漁法「鵜飼」は、現在を忘れ千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界へと誘います。

 

 鵜飼とは、鵜を巧みに操って川にいる魚を獲る漁法のことです。
 日本での鵜飼の起源は、稲作とともに中国から伝承したとする説、日本と中国で別個に発生したとする説があり、定かではありません。

 

各地の古墳から鵜飼を表現しているとみられる埴輪が出土しているため、少なくとも古墳時代には鵜飼が行われていた可能性があります。文献では、7世紀初めに中国で成立した『隋書』「東夷伝倭国条」や、8世紀に日本国内で成立した『古事記』『日本書紀』などに、鵜飼に関する記述が見られます。

 

長良川岐阜県にある一級河川で清流として有名であり、環境省が名水百選に選定しているんです。


長良川鵜飼は宮内庁の直轄で、捕れた鮎(あゆ)は皇居へ献上されるほか、明治神宮伊勢神宮へも奉納されるんです。長良川鵜飼は1300年ほど前から行われていて、その歴史は日本で行われている鵜飼の歴史と重複してます。

 

長良川鵜飼のはじまり
 美濃国(現在の岐阜県)では、7世紀頃から鵜飼が行われていたと言われています。正倉院に納められている文書の内、美濃国と伝えられる702(大宝2)年の戸籍に、「鵜養部目都良売(うかいべのめづらめ)」という記述があります。この人物は、鵜飼を生業としていた集団の出身と推定されており、長良川鵜飼が1300年以上の歴史を持つとする由来となっています。

 室町時代になると、将軍足利義教が墨股川(長良川)で鵜飼を観覧したという記録や、前関白太政大臣一条兼良が現在の岐阜市鏡島の江口付近で鵜飼を観覧したという記録が見られます。


長良川鵜飼(ながらがわうかい)とは、岐阜県岐阜市長良川で毎年5月11日から10月15日まで行われる鵜飼である。中秋の名月と増水時を除く毎夜行われる。中秋の名月に行われないのは、篝火で驚かせた鮎を捕らえる鵜飼では、「月が明る過ぎると篝火の効果が薄れるため」といわれることもあるが、他の満月の際には催されるので、これは伝統的な公休と言える。

 

正倉院所蔵の大宝年間の戸籍から、1300年以上前、既に鵜飼いを生業とする集団が美濃国に居たと推測されている。起源は漁としての鵜飼だが、現在は古典漁法を今に伝える観光及び文化・宗教的行事としての鵜飼である。そのうち宮内庁の御料場で行われる8回の鵜飼は「御料鵜飼」と呼ばれ、獲れた鮎は皇居へ献上されるのみならず、明治神宮伊勢神宮へも奉納される。

 

長良川における鵜飼は日本で唯一皇室御用の鵜飼であり、長良川の鵜匠は職名を宮内庁式部職鵜匠といい、長良川の鵜飼用具一式122点は国の重要有形民俗文化財長良川鵜飼漁法は岐阜県指定重要無形民俗文化財である。

 

また、鵜匠家に伝承する鮎鮓製造技術、長良川鵜飼観覧船造船技術、長良川鵜飼観覧船操船技術は岐阜市指定無形民俗文化財となっている。

 

なお、この鵜飼が行われる長良川中流域は1985年「名水百選」に、また岐阜市長良橋から上流約1kmまでの水浴場が1998年環境省認定「日本の水浴場55選」に、2001年「日本の水浴場88選」に全国で唯一河川の水浴場で選定されるなどする清流である。

 

◆歴史
長良川鵜飼は1300年ほど前から行われており、その歴史は日本で行われている鵜飼の歴史と重複する。鵜飼は権力者の贅沢のひとつだったため、その時々の権力者に守られ今日に至っている。江戸時代においては徳川幕府および尾張家の保護のもとに行われていた。明治維新後は一時有栖川宮御用となったが、明治23年宮内省主猟寮属となり、宮内省(現宮内庁)の直轄となった。長良川の鵜匠は職名「宮内庁式部職鵜匠」である。松尾芭蕉が「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という一句を残している。

 

★鵜飼い・鵜飼・鵜養について
鵜飼い・鵜飼・鵜養(うかい)は、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る、漁法のひとつ。中国、日本などで行われていた。現在では漁業というより、観光業(ショー)として行われている場合が多い。 また、ヨーロッパでは16世紀から17世紀の間、スポーツとして行われた。

 

◆鵜飼いが行われている地方
山梨県笛吹市笛吹川
石和鵜飼
岐阜県岐阜市長良川宮内庁式部職鵜匠による鵜飼。
長良川鵜飼
岐阜県関市(長良川宮内庁式部職鵜匠による鵜飼。
小瀬鵜飼
愛知県犬山市木曽川
木曽川うかい
京都府宇治市宇治川
京都府京都市大堰川
和歌山県有田市(有田川)
広島県三次市(馬洗川)
-- 通常の黒いウミウに混じって白いウを使う。これは近年、姉妹都市の中国四川省雅安市から送られたものである。
島根県益田市高津川
山口県岩国市(錦川)
愛媛県大洲市肱川
大分県日田市(三隈川)安土桃山時代に宮城豊盛が長良川の鵜匠を招き、日田地方に鵜飼を定着させたと伝えられている。
福岡県朝倉市筑後川)7世紀の『隋書』「倭国伝」に九州北部の鵜飼について記されている。17世紀前半までは徒鵜(かちう)が行われていた。
富山県富山市婦中地区(田島川)売比河(めひかわ)鵜飼祭として年1回、1988年(平成10年)より毎年5月下旬に行われている鵜飼のイベント。その昔婦中鵜坂の売比河(現 神通川)で鵜飼いが行われており、越中国司だった大伴家持天平20年ごろこの地を訪れ、万葉集に記載されている「売比河の早き瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴の男(やそとものお)鵜飼立ちけり」(第17巻、4,023首)と詠んだことから、史実に基づき再現されたものである。

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